燃える闘魂
1972年、新日本プロレスの設立時の世田谷区上野毛の道場には、「闘魂」、「創意」、「実行」の社訓が掲げられていた。
川口明彦事務所の設立は、準備万端のスタートではなかったが、事務所となった沼津の自宅の書斎の壁には、「創意」、「実行」、「工夫」と書いたA4の紙3枚が、貼られていた。
アントニオ猪木の、入場曲であった「炎のファイター」は、静岡で高校サッカーに打ち込んでいたものには、特別の想いがある。
「炎のファイター ~INOKI BOM-BA-YE」とクレジットされた曲名は、自分の中では、「燃える闘魂のテーマ曲」でもあった。
「闘魂とは、自分自身に打ち勝つこと、闘いを通じて、自分の魂を、みがいていくこと」と猪木さんは、話していたが、高校時代に清水東高サッカー部監督の勝澤要先生は、サッカー雑誌の中で、同じことをおっしゃっていた。闘う相手は、自分自身ということであろう。沼津東高サッカー部監督だった青木伸明先生もそんな意思を持った自分をサポートしてくださった。
「踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ、行けばわかるさ」(「道」)
闘魂のスピリットは、男女を問わず、多くの人たちに注入されているだろう。
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