2016年12月18日
中山雅史君
アスルクラロ沼津の2016シーズン報告会で、同学年の中山雅史君と話す機会がありました。
高校卒業後、30年間疑問に思っていたことがあって、清水東の武田修宏君は、清水東のキャプテンでしたが、ゴンちゃんがキャプテンかどうかが、ずっと気になっていました。
ゴンちゃんは、1985年の藤枝東高のキャプテンだったそうです。
中山君とは、お互いの高校時代のサッカー部のことなどを話すことができました。
プロサッカー選手になった中山君も、税理士になった私も、高校時代が「原点」でした。
私は、腰痛でサッカーができず、高2の冬休みに清水東高の勝澤要先生の紹介で、東京の病院に入院して、3年の4月のインターハイを目標にしていたことを話すと、「3年のインターハイは、ボールを蹴れましたか?」と訊ねてくれました。優しい男です。
清水東高の監督だった勝澤先生は、サッカーでは当時、実力に及ばない沼津東と、勉強ではライバル校だからという理由で、練習試合を組んでくれました。
勝澤先生から、7年前にお手紙で頂いた言葉を私は、大切しています。
「沼津東にも清水東の武田修宏や藤枝東の中山雅史の同級生で志の高い素晴らしい選手、生徒がいたことを 嬉しく思います。」
勝澤先生の言葉は、「選手」で終わることなく、「生徒」を付け加えてくれていました。
人間教育こそが、高校サッカーの本道ということでしょう。
静岡県内の3つの東高で、藤枝東の中山雅史君、清水東の武田修宏君と、同じ時代にサッカーに打ち込めたことは、光栄なことです。
1985年から30年余り、同学年として、これからもがんばって行こうと思います。

高校卒業後、30年間疑問に思っていたことがあって、清水東の武田修宏君は、清水東のキャプテンでしたが、ゴンちゃんがキャプテンかどうかが、ずっと気になっていました。
ゴンちゃんは、1985年の藤枝東高のキャプテンだったそうです。
中山君とは、お互いの高校時代のサッカー部のことなどを話すことができました。
プロサッカー選手になった中山君も、税理士になった私も、高校時代が「原点」でした。
私は、腰痛でサッカーができず、高2の冬休みに清水東高の勝澤要先生の紹介で、東京の病院に入院して、3年の4月のインターハイを目標にしていたことを話すと、「3年のインターハイは、ボールを蹴れましたか?」と訊ねてくれました。優しい男です。
清水東高の監督だった勝澤先生は、サッカーでは当時、実力に及ばない沼津東と、勉強ではライバル校だからという理由で、練習試合を組んでくれました。
勝澤先生から、7年前にお手紙で頂いた言葉を私は、大切しています。
「沼津東にも清水東の武田修宏や藤枝東の中山雅史の同級生で志の高い素晴らしい選手、生徒がいたことを 嬉しく思います。」
勝澤先生の言葉は、「選手」で終わることなく、「生徒」を付け加えてくれていました。
人間教育こそが、高校サッカーの本道ということでしょう。
静岡県内の3つの東高で、藤枝東の中山雅史君、清水東の武田修宏君と、同じ時代にサッカーに打ち込めたことは、光栄なことです。
1985年から30年余り、同学年として、これからもがんばって行こうと思います。
