2015年02月22日
工藤静香 中島みゆきを歌う in SONGS
NHKのSONGSで、「工藤静香 中島みゆきを歌う」を見ました。
工藤静香の半生も中島みゆきの歌とともに、紹介されていました。
工藤静香が、芸能界入りの登竜門のオーディションで14歳で初めて歌った曲は、薬師丸ひろこの「セーラー服と機関銃」、この時から、ボーカルはしっかりしていた。
三人組アイドルグループでの挫折、その後のおにゃんこクラブでの様子もあった。
アイドルからボーカリストへの決意、「命をかけて、頑張っていた。全てをここに費やしていた」と振り返った工藤静香。
この闘いは、ROCKだね。
90万枚の大ヒットとなった、『慟哭』(1993年)。
TVで『慟哭』を歌っていた工藤静香を見て、当時番組の司会をしていた、八木亜希子が、「『慟哭』は、カラオケでは、こう歌えばいいんですね」と言っていたのは、鮮明に今でも覚えている。
中島みゆきのアルバム『大吟醸』(1995年)を、私は車で聞くことがあるのだが、『慟哭』では、ボリュームが大きくなることがある。
ギターのアレンジといい、この曲はROCKだね。
工藤静香は、消耗品のように消えるだけのただのアイドルではなかったということだ。中島みゆきも楽曲を提供しては、工藤静香がどのように歌ってくれるか、楽しみにしていたらしい。
春を待つ、この時期、私がよく聞くのは、中島みゆきのアルバム『ララバイSINGER』(2006年)。
Favorite Numberは、オープニング・ナンバーの「桜ららら」~「ただ・愛のためにだけ」、「重き荷を負いて」だ。
春は、もうすぐだ。
工藤静香の半生も中島みゆきの歌とともに、紹介されていました。
工藤静香が、芸能界入りの登竜門のオーディションで14歳で初めて歌った曲は、薬師丸ひろこの「セーラー服と機関銃」、この時から、ボーカルはしっかりしていた。
三人組アイドルグループでの挫折、その後のおにゃんこクラブでの様子もあった。
アイドルからボーカリストへの決意、「命をかけて、頑張っていた。全てをここに費やしていた」と振り返った工藤静香。
この闘いは、ROCKだね。
90万枚の大ヒットとなった、『慟哭』(1993年)。
TVで『慟哭』を歌っていた工藤静香を見て、当時番組の司会をしていた、八木亜希子が、「『慟哭』は、カラオケでは、こう歌えばいいんですね」と言っていたのは、鮮明に今でも覚えている。
中島みゆきのアルバム『大吟醸』(1995年)を、私は車で聞くことがあるのだが、『慟哭』では、ボリュームが大きくなることがある。
ギターのアレンジといい、この曲はROCKだね。
工藤静香は、消耗品のように消えるだけのただのアイドルではなかったということだ。中島みゆきも楽曲を提供しては、工藤静香がどのように歌ってくれるか、楽しみにしていたらしい。
春を待つ、この時期、私がよく聞くのは、中島みゆきのアルバム『ララバイSINGER』(2006年)。
Favorite Numberは、オープニング・ナンバーの「桜ららら」~「ただ・愛のためにだけ」、「重き荷を負いて」だ。
春は、もうすぐだ。
Posted by taxman at 13:17
│music